プロフィール

ここでは、幼少期から現在に至るまでのプロフィールを掲載しています。

田中康博 (Yasuhiro Tanaka)

はじめまして、田中康博と申します。

3兄妹の次男、1985年生まれ、山梨県甲府市出身です。

0~6歳

幼稚園ではみんなが絵を書いている中、1人で砂場で遊んでいた子だったみたいです。

小学校     

ポケモンやミニ四駆など当時の流行りのものには興味を示さず、よく図鑑を見ていました

『21世紀子ども地図館』がお気に入り

中学校

初恋と失恋を経験、少し大人になりました

高校 不登校→引き込もり→留年を経験

サッカーに没頭するも、学校ではまわりにうまく馴染めず

高校1年時に不登校となり引きこもり、留年を経験。

海が見たい衝動にかられて学校へ行かず、各駅停車で日本海まで行ったこともありました。

休学しバイトなどするも後悔の念が強く復学し同校を卒業

大学 思春期を経てそれなりに会話のできる大人にはなる

海外を貧乏旅行したことが後の人生を大きく変えました
21歳の頃、バイトでお金を貯め、1年間海外を放浪する。

早々に資金がショートし、ヒッチハイクや野宿で乗り切り、

外国現地の日雇いのバイトをして旅を続ける。

真冬のニュージーランドを野宿でやり過ごし、真夏のオーストラリアを自転車で縦断する。

初めての海外で9カ国を旅して帰国。

その時に経験したこと

異国の地でお金も人脈もなくてもなんとか生きていけると身を持って体験

これが

海外でチャレンジする原点

となりました。

24〜26歳 青年海外協力隊のとき寿司に開眼

2年間をアフリカのモザンビークで過ごす。
『寿司をつくって』現地の子どもたちに頼まれ、人生で初めての寿司をアフリカで作る。

早朝、片道2時間をかけてバスと徒歩で港町へ行き魚介を買い、自作した寿司と子どもたちの歓喜に感動。

定期的に寿司を作るようになる。

ここで、寿司に開眼

27歳 東京すしアカデミーに入校

帰国後に東京すしアカデミーに入校。

1年後、首席で卒業。

28〜30歳 銀座の名店『銀座いわ』で修行

2年半修行させていただきました。
閉店後に毎日必ず練習すると自分に約束。

それを守り抜く。

慢性的な寝不足に早朝の居眠り自転車運転で何度か◯にかける。

30歳 ニューヨークに渡米

30~32歳 Sushi Helper → Sushi Chef → Second Chefと成り上がる    

兄弟子の誘いで渡米。

憧れのニューヨーカーになるが貧乏生活は続き、地下鉄で片道1時間弱の通勤時間で職場に通う日々を過ごす。

Sushi Helper → Sushi Chef → Second Chefと成り上がる

33〜34歳 マイアミの店舗でヘッドシェフに就任

店の売上をあげるべく奮闘しました。
またシェフとしてもマイアミで認知されるべくイベントなどを精力的にこなす。

日々の業務はもちろん、月1回のイベントを企画、寿司教室や食べ放題イベント

有名シェフとのコラボイベントを開催など

35歳 Sushi Yasu Tanakaをマイアミにオープン

マイアミのデザインディストリクトにあるフードホールの一角で自分のお店をオープンしました。

35歳で独立しレストランオーナーとなり今に至ります。
自身も日々お寿司を握り、お客様に振る舞っています。

渡米時の目標は年収5,000万円を稼ぐシェフになること

ありがたいことにメディアに取り上げていただき、出演した影響で
お問い合わせを多くいただきました。

多忙によりあまり対応できなかったことを悔やんでいます。

寿司で海外に挑戦したい人に勇気を与えるため、また良くも悪くも海外で働く寿司職人の現実をしっかりと理解してもらうためにホームページを立ち上げました。

情報発信を続けられたらと思っています。
頻繁の更新ではありませんが、どうぞよろしくお願いします。